ここのところ所属している会社の業務の方でかなり精神力を使ってしまっていてなかなかそれ以外のことがすすまなかったRoomin’です。いちお生計をたてる生業としてデザイン業務を行なっておりますが、だからといって机上の制作しているばかりでなく打ち合わせや調整など人と人とのやりとりが比較的多い方かなと思います。元々こういったビジネス的なやりとりが決して得意な方ではなかったのですが、必死でやっているうちに何かと身についてくるものです。私が今のようなデザイン業務に就くようになったのは30歳を過ぎてからのことで、ある程度舞踏の活動を重ね、それなりに企画公演に出られるようになったり活動のパターンができてきたことで、精神的に新しいことにチャレンジする余裕が持てるようになってからかなと思います。もちろん当時は業界未経験。そこから一からのスタートだったのでそれはそれは死ぬ気で頑張ったものでした。何しろ当時はwindowsのPCの使い方がわからずに電源をつけることすらできなかったのですから。PCのことも知識はゼロ、ネットのことやサーバーの仕組みやらチンプンカンプンで大失敗をしでかしたこともありました。そういった失敗をした際には包み隠さずすぐに上司に報告相談して磔の刑のような弾糾に対面したりしたのですが、その結果問題解決へ至った数々の経験を経てかなりメンタルは鍛えられてきたと思います。…とはいえ、そもそも何の知識もない未経験の私がその段階でトラブルに直面し、いたたまれない思いを全身で受け止めてこられたのも、それまで続けてきた舞踏の修行によるものは大きいのではないかと思います。
舞踏の活動や稽古を続けていると、どうやって自分がここに存在しているかということを全力で考えます。最初は身体の状態が原寸大の自分なのでどうしてもそこに「生身の人間」がいるという状態でしかなかったのですが、舞台上にさらけ出すといった極限の状態に晒していくうちに、時空の隙間のようなところを見つけ堂々と存在できるようになるものです。また、私が踊りはじめた当時の舞踏評論の世界は非常に厳しいもので何人もの大人の批判を一身に受け止めるという文字通りの「磔の刑」にあう経験を重ねてきていたので、それでも踊りをやめなかったのは相当図々しいというか相当鍛えられてきたと思います。人になんと言われようとその場に全力でただそこに立つ。そういった状態になった時の力は物質のスケール感を超えて何かの力を発するのではないでしょうか。またそういう状態であることを私は「身体性」と呼んでいます。
デザイン業務を始めたばかりは自分の技術的な部分で負い目を感じていた私でしたが、それでもおどりによって培われた身体性があったからこそなんとかその後も続けてくることができましたし、現在はむしろ打ち合わせや会議などでシビアなシーンに直面しても「ただそこにいる」ということだけは自信があるのです。
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仕事やその他のことで行き詰ったと感じたときに読んで元気になった本。ど定番のロングセラーですが私には良かったです。かつては経験値が足りない分、悩むたびにたくさん自己啓発本を読んだものです。
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