ニューヨークで初めての自分のライブを行なった後は寒くなる一方のニューヨークの想像を絶する冬が障害となり少し(かなり?)モチベーションがおちていました。そうしているとどこでどういう風に伝え聞いたかはわからないのですが、私の噂を伝え聞いたあるミュージシャンから一緒にセッションをしたいというオファーをいただいたのはその年の年末のことだったのか、多分Master Wotazumi経由でのことだったのかと思います。あ、そうかKarl BergerのCreative Music Studioに参加していたのかもしれません。なんかそんな感じでコンタクトしてきて最初はメールなどでやりとりしていたんだと思います。私はまだまだ喋りは苦手でしたが、エンパイヤの上にある語学学校のスパルタ教育のおかげで文法はかなり叩き込んでおり、メールではそれなりに文章を作ることができていたので、きっとメールだけでやり取りをしていた人は私のことをそこそこ英語ができる人と勘違いしてくれていたに違いないと思います。そうしてまだ一度も会ったことのない「Gian」という名の方が設定してくれて「とにかくセッションしたいけど会場は用意できなかったからここでやろう!」と提案されたのが、ニューヨーククイーンズにあった5pointzと呼ばれる建物に落書きが書かれちょっとした名所のようになっている場所でした。※現在は全て解体されております。
Master Wotazumiを伴ってクイーンズに入って最初の駅(確かMOMA PS1近くのCourt Sq.)の付近で待ち合わせをしましたが、車で来ていたGianとうまく出会えず、携帯(ガラケー)に電話は入るも電話で通話できるほどの英語は持ち合わせておらず、アワアワしていたらなんとなく向こうが見つけてくれたようです。初対面のGian Luigi Dianaはイタリア系のニューヨーク市民でナイスガイ、年代は私と同い年くらいです。今は即興演奏を活動の軸にしているらしくそれでCreative Music Studioに参加していてWotazumiなんかと接点があったのかなとおもいます。Gianは当時はimprovisationではLaptopを用いることが多いようでその日もLaptopでやるとは事前に聞いておりました。
5pointzに到着し、いかにもグラフィティの場所にてセッティング、堂々とそれらの壁を背負いおもむろにパフォーマンスははじまりました。この時は年明け1月中旬でもっとも寒い時期。(ニューヨークの寒さは結構ヤバイです)寒さに弱い私がよくこの服装で戸外で30分も踊っていたかと思いますが、不思議とこの時は特に寒さを感じませんでした。結局このパフォーマンスは、この場所を管理する役人によって阻止されてしまい(どうやらこちらは撮影場所として貸し出しているらしく許可なき撮影は禁止らしいです。)まぁそれでもその時に来ていた観光客の人が結構いい写真をとってくれていたり、寒くはあったけど開かれた感じもありました。その時すでにもうすぎ日本に戻ることになっていた私にGianは「なんでもう少し早く知っておかなかったんだろうか」と悔やんでくれてありがたみを感じたのでした。Gianとはその後も結構いろいろありますが、それは次回に。